お寺紹介

 ・法恩寺について

  法恩寺は身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗寺院です。
 
  正式名称: 妙光山法恩寺
 
 

  
 
法恩寺住職   橘 亮秀
 
     副住職   橘 亮光
 
     
 ・
ご挨拶

  
法恩寺の副住職を務めさせていただいております橘 亮光と
  申します。みなさん、お寺と言うと自分にはあまり縁のない所
  と感じてはいないでしょうか。

  たしかに、お寺に馴染みのない方にとっては行きにくく入りずらい
  所でありますし、お坊さんともどのような関わりをもって良いのか
  わからないものだと思います。

  しかし、そんな世間一般のイメージを振り払おうとしているのが
  法恩寺であり、私であります。
  誰でも気軽に立ち寄れるような、お寺はそんな存在であるべきだと
  考えています。
  亡くなった方の葬式を行ったり、先祖の供養を行うことはお寺の
  当然の務めでありますが、いまを生きている人を助けることこそ、
  現代においてのお寺の大切な役目ではないかと考えています。

  悩みのある方はそれを解消し、悩みのない方でも、より幸せに
  なれる方法がここにはたくさんあります。
  どうか気軽に法恩寺にお立ち寄りください。

      

     







 法恩寺略歴


 
 当寺は出雲市平田町(旧平田市)の商店、住宅に囲まれた
  市街地の中にある。
  まず当寺の由緒を雲陽誌にみてみると、
  「法華宗なり、妙光山という、本尊首題 永禄元年(1558)
  本迹院日祇の草創なり」とある。
  この記述は、いわゆる享保八年(1723)三月十八日の
  「法恩寺大火」の六年前に記録されたものである。
  寺伝によれば山号を「佛生山」と公稱した時代もあったと
  するが、その如年代は不詳である。
  当寺は先の享保と平成の二度にわたり祝融の災により、
  寺に伝わる記録類が焼失して、確かな寺歴をたどることは、
  かなり難しくなっている。
  開山日祇上人は、京都本山妙覚寺の弟子であったが、
  「天文法難」の難を避けて、三十三才の頃大阪堺に移った。
  その後の二十年間の足跡は不詳だが、上人五十五才の頃から
  地方の広宣布教の旅に出たと推測されている。
  この出雲では、当寺のほか、今市連紹寺、大森妙正寺を草創した
  と伝えられ、遷化の場所は、大森妙正寺(本迹院)
  天正十四年三月十五日(1586)法寿八十一才。
  当寺の創建の年代を雲陽誌は前記の如く、永禄元年と伝え、
  一方当時の開基小村家の文書には永禄十年(1567)
  創立と記されている。
  当寺の開基檀越小村家は、正和年中(1312~1316)に、
  近江の国からこの地に移住し、未開の地を開拓し、平田の基礎を
  小村家の先祖は、始め法華宗本妙寺を建立した。
  その小村家の十四世小村市良衛門は、本迹院日祇上人に深く帰依
  し、境内外三反歩を寄進し、法恩寺を建立し、菩提寺とした。